穏やかな自然の中を実際に歩いて来たような。そんな清々しくも温かい気持ちになる小説に出会いました。
最近、本を読む機会も増え、おすすめの本を聞かれることも多くなってきたので気に入った本の感想も少しずつ書いていこうと思います。
「羊と鋼の森」は落ち着いた優しい物語が読みたい人に手にとって欲しい本です。特に素晴らしいのは眼の前に本物の風景が広がっていくような描写。
まずは最初の一文を読んでみてください。そこだけでも風景描写の素晴らしさがわかるはず。
あらすじ
そのピアノの音を聞いた瞬間、森の匂いがした。高校生の時に偶然聞いたピアノの音。
主人公「外村」は調律師板鳥との出会いがきっかけで調律の道へと進みます。
先輩たちや双子の姉妹、そして板鳥に囲まれながら美しいものや音楽を見つけていく。
正解の基準なんてどこにもない”音”。調律の森を迷いながらも一歩一歩歩いていく。喜びと成長の物語です。
著者は宮下奈都さん。本屋大賞にも選ばれた作品で最近映画化していましたね。
穏やかに、緩やかに展開していく小説なので、物足りなさを感じてしまう人も居ると思います。
しかし私にはその静謐さが心地よかった。静かな場所で一言一言を噛み締めながら読みたくなる本です。
美しいものは世界に溶けている
調律師の仕事はただ音程を合わせるだけではない。音の響き方や表情、演奏者のイメージする音を具現化すること・・。
絶対的な正解と呼べるものが無い調律の世界。どこを目指せば良いのか分からなくもなり得るピアノの森。
そこで迷子になってしまう主人公が気づく。なんでもない風景の中にすべてがあったのだということ。
ピアノに出会うまで、美しいものに気づかずにいた。知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気づかずにいたのだ。
(本文より)
美しいものも、音楽も、もともと世界に溶けている。
(本文より)
なんでもない日常の中に喜びや幸せ、美しさは隠れている。それに気づくことが幸せ。そう言われているような気がしてなんだか嬉しくなった。
なんてことない私の日常にも美しいものがたくさん隠れているのかもしれない と。生きていく上での目線がちょっと変わりそうな気がした文章たち。
無駄なものなんて無い。ひたむきな努力
主人公や双子の姉妹。時間を惜しんでピアノと向き合う姿は傍から見ると「努力をしている」と受け取られる。
しかし、当人たちはそれを努力だとは感じていない。美しい音を響かせるためにただ真っ直ぐひたむきに一歩一歩、歩き続けているだけ。
「正しい」も「役に立つ」も「無駄」もない。
(本文より)
努力をしながら何かに打ち込んでいる時、「これは無駄な努力なのではないか」という不安が付きまといます。
もがいてもがいて悩みながらも、これは無駄な努力と思うことは一切ない主人公たちの姿。真っ直ぐですごくかっこいいなと感じました。
新しいことに挑戦しようとする時にまだ自分には出来ない。もっと余裕が生まれてから。と後回しにしてしまうくらいであればやらないのも正解かもしれない。
しかし、本当にやりたいことであれば今から初めてみるべきなのだ。そこに「無駄」になることなんてないのだから。
努力をしていると思ってする努力は、元を取ろうとするから小さく収まってしまう。自分の頭で考えられる範囲内で回収しようとするから、努力は努力のままなのだ。
それを努力を思わずにできるから、想像を超えて可能性が広がって行くんだと思う。
(本文より)
読んでいてハッとした一文です。これだけ努力しているんだからという思いは自信にも繋がるけれど、言い方を変えれば努力した分の元を取ろうとしている傲慢さでもあるのかなと。
そして、とんでもない爆発力を持っている人というのはただ「好き」という気持ちが原動力であることが多いことに気づきました。
努力を努力と思わず、楽しみながら打ち込めること。本文の引用になりますが才能というのはものすごく好きだっていう気持ち。というところに繋がっていくのだと思います。
タイトルの「羊と鋼の森」とは?
読むまでは「羊と鋼の森」というタイトルとピアノがどうしても結びつきませんでした。調律の話なのに羊?そして森?
しかし、読み進めていくと小説の世界を上手く表しているタイトルであることに気づきます。
詳しくは小説を読んでみてのお楽しみということで・・。
おわりに
この小説を読んで印象的だった箇所を引用しました。映画化もしていたし話題だから・・という理由で手にとった1冊ですが、文章の空気感がとても好きでお気に入りの本に仲間入りしました。
気に入った箇所に付箋を貼りながら読んでみたらあっという間にすごいことに。笑
恩田陸さんの蜜蜂と遠雷が好き!という人なんかは絶対に響くはず。
難しい表現もなく、さらっと読めるのも魅力。普段本を読まないという人にも全力で勧めたい本です。